12/01/27 19:50:14.40 Mxwk15ZW
>>93
処女と誤訳されたのはイザヤ書の「乙女が男の子を生む」という部分。
ヘブライ語の原典で「乙女に相当する語=アルマー」は「若い女」という程度の意味しかありません(ヘブライ語聖書対訳シリーズ・イザヤ書Ⅰ参照)。
この部分がギリシア語に翻訳(セプチュアギンタ、LXX)された際、処女を意味する言葉(パルテノス)が充てられました。
もちろんこの時点で予言の女を処女と限定する根拠は皆無です。
ちなみにパルテノスは有名な処女神アテナを祭るパルテノン神殿のパルテノン(処女宮)の類語です。
セプチュアギンタがキリスト教徒によってイエスの出来事の成就として解釈された際、
イザヤ書のかの個所はイエス・キリストと結び付けられました。
ユダヤ戦争後、ヤブネに移ったパリサイ派のラビたちは、LXXの「処女」が誤訳であることを指摘し、
イエスと結び付けることの欺瞞性を糾弾しました。
キリスト教徒との対立を通じてユダヤ教徒はLXXに存在する多くの誤訳や拡大・敷衍を問題視し始め、
誤解の余地のない旧約聖書の正統な逐語的ギリシア語訳として「アクィラ訳」を生み出しました。
このアクィラ訳の中では、イザヤ書のかの個所は正当にも「乙女」を意味する「ネアーニス」が充てられています。