12/04/24 17:21:12.71 jwLkS/dH
喜怒哀楽の「怒」
>>220ではなんとなく、
マタイによる福音書 / 5章 21節では
>兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。
とあるが、せっかく4大心情の内の一つに含まれているのだから、「怒」にも
良い怒と悪い怒があると見て間違いはない。先輩や子に対する怒りは悟りや意味を悟らせなければ発展が無いので無意味だ
私は教育上、注意・危険の意を教えるための怒の感情程度でそれ以外の用途はないと軽々しく捉えていたが
そして「なんとなく」という曖昧な理由にも、確たる時代的また現代的根拠が存在している事実を明確にしていなかったよう>>220
祖父から聞いた。大正時代では
カタカタカタ…
「んなことするべ、おめえできねえだろ~~~~」
「それじゃ勝負じゃ!」
――
「ほおらおらの勝ち~~~~!おめえ負けだべっさ!」
「んくそおおおおおおおおおおお」
――
「おめえこれできっか?」
「お前にできること俺にできんわきゃねえだろ」
遊びでも芸術でも、このようにライバル視し、見下し、「怒る」ことが
自身の成長に良く栄養素として成っていたらしい。
こういうことだったのか!
『怒ることを知らない』の理由