11/10/26 00:10:25.87 4vh4Zzkr
【雰囲気の範囲、面積を理解する】
まず雰囲気について冷静に第三者、第四者視点において語るか介入すること自体
宗教や霊的内容並みに抽象的で,ある人からすれば本当阿呆らしいことだ(一時これを愛(優しさ)だとか中立者とか美徳として定義していた頃も)
だが馴染みは皆ある。しかし問題は恐怖や勝率(ここでは打開や確信を言う)の低さから
誰しもそれについて対立したり、行動や共有において触れようとはしないのだ。
俺はけっこう前(2008~)からこの雰囲気>>176,>>149>>156を一定の観点から覗くことで分析したり破壊を試みようとしたが
けっきょくのところ、無理(他者曰く無謀)だった。
しかしここ10月半ばにして、特に推し進めていたワケでもない(実は完全に手を引いていて無考慮.趣味にふけっていた)「雰囲気の内容」(厳密に言えば面積)に対する研究で
ある確固たる回答が与えられたのだ。これは調べても結果には出ない事実と思うが
まず最初、私はこれまでの弟の発言には必ず何か深い意味、或いは確信を突いた(的外れでも良い線を行ってる)内容が含まれていると3秒ほど思った。
それで弟が先日供述した
「ドアを完全に閉めていれば良い」「ドアを開けているからだ」
という戸の開閉などどうでもいいことだろうと当時は論理的帰結を出した過去の内容に着目したのだ
ハァ?扉と壁の隙間の空間など、全く考慮する必要はないだろ。ネタにもならん
虫が入るか入らないか(ハエ侵入時)、多少酸素の出入りが影響を及ぼすかくらいのもんだ。
↑だから、俺は雰囲気と現実(隙間)の相関関係について無頓着だったんだ!