11/07/07 20:52:32.98 h3yg4UJA
>>375
偽物ってことはないが、ただなぜか口語訳の中には、
間違って訳されてるのがあるんだよね。
祈りとは神様との会話と言われているから、
間違ってる言葉だと、分かってて祈る(会話)をする気にはなれないんで、
誤訳と分かってる分は避けてる。どちらかと言うと文語体の方が多いかな。
聖書にもイエズス様が山上の垂訓で話されているが神様は隠れたものをご覧になられます。
皆で集まって祈るのもいいが、一人で度々人から隠れて祈るのも大事です。
霊性を得、聖霊の働きや賜物を得たいのなら、まずは洗礼を受けてから。
霊性に関しては、実際にあったことだけど霊的に指導する神父様の中には信者にならなければと言う方もいたよ。
まず洗礼の有無を確かめられて、受洗してから来て下さいとやんわり断られる。
聖霊の導きを得るには、堅信を受けないと。
あとは信者としての義務を出来る限り忠実に果たし、
謙遜に小さな者として生きて聖霊を心にお向かするよう祈り努める。
出来れば、念祷が出来るといいんだけどね。
口での祈りでも、霊性を得て、高い徳に進めるらしいが、
心の祈りとも言われている、念祷が出来るようになると、
正直口だけの祈りだけで、霊性を高め寛徳の頂に登れるんだろうかと思うよ。
ただ、声を出して唱える祈りでも文語体でのロザリオだけは、
念祷に入った事があるから、それも入りやすかった。
声での祈りも間違いではないんだろうとは思うけど。
リべロ神父説教集 キリスト信者の霊性(20) ―聖霊のたまもの―
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