11/07/06 13:12:42.72 WVBxxPqa
>>362
ロザリオの祈りを口語訳で祈ることで霊性が低下するとか損なわれるということは
ありません。ただ、口語訳は現代語であり、時代の変化により今後も、
たとえば十年後に司教団のメンツが交代した際に、また変わるかもしれないといった
流動性をつねに抱えています。
神道の祝詞も般若心経も文語訳のロザリオも、これから変わることはあり得ないという
意味において、安心して祈ることができ、リズムもよいし、何十年(ラテン語のロザリオは
数世紀にわたり)愛されてきたという事実がありますので、できれば徐々にでも
ラテン語のロザリオに親しんでいただきたいと思います。ワールドスタンダードで
ローマでもワルシャワでも通じるものです。
しかし、本当に祈る人は、他人が何訳の祈りを唱えているかなど、気にも留めないものです。
私も最初は口語で祈っていました。今でも時々口語の祈りをします。忌避したり他人に批判される謂れは
ありません。ただ、昔からカトリック教会に伝わってきた祈り、たとえば
「大天使聖ミカエルへ向かう祈り」「ファチマの祈り」「日本国のための祈り」
「信徳唱」「望徳唱」「愛徳唱」「召しだしを求むる祈り」が公の記憶から抹消されて久しいです。
公教会祈祷文をネットで一度ご覧ください。「入堂前」「聖水をかけるとき」「聖体拝領前・後」の
祈りは美しいです。
>>362さんにマリア様のやさしいお導きがありますように。