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【和訳】
1944年、日本と戦争している最中のアメリカ戦時情報局心理作戦班の報告
このレポートは、ビルマのミートキーナ陥落後の掃討作戦において1944年8月10日頃
に捕虜とした、20人の韓国人"慰安婦"、及び2人の日本の民間人の尋問から得られ
た情報に基づく。
・「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。もしくは「駐屯地追随プロ娼婦(PCF)」
・募集は日本軍が直接行ったわけではなく、業者が仲介した。
・応募者の多くは無学であり、家族の借金のために数百円の前金を受取り契約した。
・慰安婦の収入は総売上げの半分程度であり、平均的な月収は 750円程度(当時、
日本軍将校(少尉)の月給は 70円)。
・食事は十分であり、軍医による定期的な健康診断も実施され、慰安婦の健康状態
は良好であった。
・規則により夜間と早朝の接客は禁止されていた。但し、将校は割増料金を払う事
で宿泊できた。
・慰安婦には避妊具が支給され、客を拒否する特権を持っていた。例えば、酔った
客などはしばしば拒否した。
・週休1日制であり、オフの日に健康診断が行われた。
・オフには、客の将兵とスポーツやピクニック、デートや食事等を楽しむ事もあった。
・町にショッピングに行くことが許されており、その為のお金も持っていた。
・借金を返済し、契約条件を満たした者は、帰国が可能であった。
・客から求婚する例が多くあり、実際に結婚に至った例もある。
・慰安婦の平均年齢25歳