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●崔基鎬(チェ・ケイホ)著
『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
(祥伝社・2004年)19~23ページより)
李朝は1897年、国号を「大韓帝国」にあらため、年号を「光武」とした。王を皇帝と称し、
表面的には五百十余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したが、実態は、変わる
ところがなかった。
1904年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状をみかねて、
目賀田種太郎(めがたたねたろう:1853~1926)を財政顧問として派遣し、
日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として建て直すという態勢がようやく
緒につくことになった。
目賀田財政顧問と統監府は、朝鮮の歳入不足を補填するために、日本国民の税金から、
大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助した。
たとえば1907年度で、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円
以上であったから、その差額は全額日本が負担した。
1908年度にはこれがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出した。
統監府時代の4年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にのぼった。
そればかりでなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、
9000万円に達している。
現在の朝鮮・韓国の歴史では、日本の特恵的支援には一言も言及がなく、侵略だけを強調して
いるが、これがいかに偏狭な史観であるかを自覚しなければ、将来は開けない。