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1970年代末、フランスのジャーナリストで「国民戦線」の指導者フランソワ・デュプラ(Francois Duprat)が、
リチャード・ヴァレル(リチャード・ハーウッド)の執筆した『600万人が本当に死んだのか?』(英語版)の
フランス語訳小冊子を出版しました。彼はまた、『ガス室の秘密』と題する修正主義的研究も出版して
います。そして、1978年3月18日、わずか38才のときに、彼の車の中で爆弾が爆発し、彼は命をおとし、
彼の妻は腕と足を失いました。このテロ行為は、「ユダヤ人レジスタンス・コマンド」と「ユダヤ人革命集団」
という2つのユダヤ人団体による犯行でした。犯人はまだ捕まっていません。
URLリンク(revisionist.jp)
フランス人教授フォーリソンはたびたび攻撃を受け、一度は死にかけたこともありました。1989年9月16日、
彼は愛犬をつれて、故郷ヴィシーの公園を散歩していました。いつもの散歩でしたが、この日の様子は
異なりました。その公園で、3人の悪漢が彼を襲い、催涙ガスを吹きかけ、気を失うほど殴ったのです。地面
に倒れてからも、顔と胸を何回も足蹴にされました。「彼の顎と顔が砕かれていました」とかけつけた救命
消防士は語っています。4時間におよぶ手術がなされました。「ユダヤ人の記憶の息子たち」という団体が
この犯行を認めました。この団体の声明文には「フォーリソン教授が最初であって最後ではない。ホロコー
スト否定派を震え上がらせろ」とありました。
URLリンク(revisionist.jp)
この襲撃は「ロイヒター報告」に対する反応でもありました。フォーリソンは報告の精神的父であったからです。
フランスの「ナチ・ハンター」セルジュ・クラルスフェルトは、もっとも攻撃的な反修正主義者ですが、この事件
についてこうコメントしています。
「長年にわたってユダヤ人共同体を怒らせてきた者であれば、このような事態を予測すべきである。…死者の
記憶を中傷すれば、何らかの事態を招くものである。」
本を破ったチョンは覚悟しておいた方がいい。