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★【世界を感動させた日本】朝鮮に注ぎ込んだ血税「63兆円」 数々の援助で身を捧げた先人たち
2014.03.02 藤井厳喜
韓国の「反日」は、とどまることを知らない暴走を続けている。それは韓国人が歴史を直視せず、
反日妄想に現実逃避しているからである。この連載の最終回に、朝鮮を救った感動的な日本人の話を紹介しよう。
まず、35年間の日本による朝鮮半島統治(1910~45年)とは何だったのかを、如実に示す数字を見ておこう。
この間、朝鮮の人口は1300万人から2500万人にほぼ倍増した。コメの収穫量は1000万石から
2000万石になり、平均寿命は25歳(10年)から45歳(44年)に伸びた。工業生産指数は100
(13年)から550(38年)に大躍進し、公立小学校は約100校から約5000校に増え、
ハングルを普及させた。鉄道はゼロから出発し、何と総延長6000キロを敷設したのだ。
日本政府は累計約21億円を朝鮮に注ぎ込んだが、これは現在の貨幣価値で63兆円にのぼる。
第3次日韓協約が締結された07年からの38年間で計算すると、1日45億円の血税を朝鮮に援助したことになるのだ。
朝鮮の発展に身をささげた日本人も数多い。
重松●(=高の右に昇)修(しげまつ・まさなお、1891~1975年)は農民を貧困から救うべく、
私財を投じて朝鮮の農村振興を計り、「聖者」とまで呼ばれた人物である。彼はまず養鶏により卵を売り、
その金を貯蓄して牛を買うという、自助努力の仕組みを農村に根付かせた。彼は三一暴動で被弾して右足が
不自由になったが、終戦までの31年間、貧しい朝鮮農民の救済に無私の活動を続けた。
朝鮮農民の救済に尽力した農学者に、津田仙(つだ・せん、1837~1908年)がいる。
津田塾大学の創立者、津田梅子の父親である。農学者の高橋昇(たかはし・のぼる、1892~1946年)は、
朝鮮農業の近代的実態調査を行い、農業発展の基礎を造った。石塚俊(いしづか・たかし、1888~没年不詳)
は朝鮮米穀倉庫会社社長として、品種や農法の改良、潅漑(かんがい)施設の改善などを通じて、
農業生産の飛躍的向上に貢献した。
>>2へ続く
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