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◆児玉誉士夫、CIA、岸信介、朴正煕
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G2(アメリカ諜報担当・参謀第2部)と多くの暴力団の中心的仲介者としての地位を築き、右翼の結集を目論んだ。
「1948年末、釈放された児玉は中央情報局(CIA)に協力するようになった」とアメリカでも報道。
アメリカの公文書館保管のCIA対日工作機密文書によると、児玉のことを「プロのうそつきで悪党、ペテン師、
大どろぼうである。情報工作できるような能力は全くなく金儲け以外に関心がない」と評している。
児玉は死期が近づいた時、「自分はCIAの対日工作員であった」と告白
長らく最も大きな影響力を行使できるフィクサー(黒幕)として君臨。岸信介が首相になる際にもその力を行使した。
1960年の日米安保条約改正に前後した、アイゼンハワー大統領訪日反対の安保闘争を阻止するため
岸信介首相の命令により、自民党の木村篤太郎らは、ヤクザ・右翼を使って運動阻止。児玉は世話役として行動
児玉は1965年の日韓国交回復にも積極的な役割を果たした。国交回復が実現し、5億ドルの対日賠償資金が供与されると、
韓国には日本企業が進出、児玉もしばしば訪韓して朴政権要人と会い、日本企業やヤクザのフィクサーとして利益を得た。
元満州国軍将校、のちに韓国大統領となる朴正煕とは満州人脈が形成され、岸信介、椎名悦三郎らの政治家や
元大本営参謀で商社役員の瀬島龍三が日韓協力委員会まで作って、韓国利権に走った