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特集ワイド:谷野作太郎・元駐中国大使に聞く/下 「河野談話」「村山談話」 「痛み」日本人として共有を
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毎日新聞 2013年08月28日 東京夕刊
--いわゆる「村山談話」を出した経緯は。
谷野 「村山談話」という言い方が定着してしまったので、あれは、一部では社会党委員長である村山富市さんが個人的所感を述べたものに過ぎないという受け止め方があります。
しかし、あの談話は閣議を通した談話ですから「戦後50年に際しての日本国総理大臣談話」というべきものです。
もっとも村山首相の下にあった内閣だからこそ、あのような「談話」ができたというのも事実でしょう。
当時の内閣は、自民、社会、さきがけの3党連立内閣。
自民党内には「歴史」について一家言のある閣僚方がいらっしゃいました。この方々には野坂浩賢官房長官自ら事前に話をされたようです。
日本遺族会会長だった橋本龍太郎元首相(当時は通産相)には村山首相自ら話をされました。
その結果、談話原案では2カ所で「敗戦」「終戦」と書き分けてあったのを「敗戦」にそろえてはどうかというご意見を橋本元首相からいただき、その通りにしました。
後で橋本元首相は「遺族会の大多数の人たちは、自分たちの夫、兄弟、父親は無謀な戦争に駆り立てられて亡くなった犠牲者だと思っている。
だから『敗戦』でいいんだ。ただ、今日の日本の平和と繁栄はこの人たちの犠牲の上にあるということを忘れてはいけない」とお話しになっていました。
あの年、戦後50周年に際していくつかの決議や声明が出ました。
中曽根康弘元首相は「『歴史認識』の問題を国会決議にゆだねるのはいけない。与野党間のせめぎ合いと妥協の結果、どうしても中途半端な内容になる。やるなら、政府がきちんとしたものを書くべきだ」と私たちにお話しになっていました。
「さすがだなあ」と思いましたね。