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★「佐村河内は昔から嘘つき!」“発掘”プロデューサー、大倉氏激白
2014.2.11 10:02
ゴーストライターに作曲させていたことが発覚した佐村河内(さむらごうち)守氏(50)を26年前に
ロック歌手としてデビューさせようとした作曲家、大倉百人(もんど)氏(65)が10日、サンケイ
スポーツの取材に応じた。当時、24歳の佐村河内氏は都内でレコード関係者を集めたライブを開いて
“第2の矢沢永吉”と話題を呼んだが、大倉氏は「すぐ嘘をついていた」と述懐。今回の騒動も
「彼なら腑に落ちる」と言い切った。(サンケイスポーツ)
20代の佐村河内氏を知る大倉氏。ゴーストライター問題についてこの日、サンケイスポーツの電話
取材に開口一番、「なるほど、彼なら腑に落ちる、と思いました」と切り出した。
大倉氏は1988年2月、知人の紹介で出会った佐村河内氏からデモテープを受け取った。
30歳で左耳、35歳で右耳が不自由になったとされる同氏は24歳だった。
大倉氏は新沼謙治(57)の代表曲「津軽恋女」などのヒット曲を手がけ、当時の佐村河内氏を
「声はいいものがあった」と評価。同年5月30日にレコード会社9社を集め、デビューへ向けた公開ライブを行った。
その後2、3社が契約を持ちかけたが、「直後に弟さんが亡くなったり、彼自身の“問題”もあり、
(オファーを)詰めることなくやめました」と振り返る。この“問題”こそが虚言癖とし「すぐ嘘をついていた。
このまま彼に関わっていくと、こっちがヤバくなると感じた」と打ち明けた。
具体的な嘘の内容については「広島で暴走族のアタマだった、と言っていたけど、不良を装っていただけ。
2人のときはおとなしかった。当時の宣伝用プロフィルも空手初段とあったけど、おそらく嘘」と推測する。
嘘を繰り返す佐村河内氏を信頼できず、同夏に大倉氏から縁を切った。
>>2へ続く
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