14/02/11 20:26:22.36 KAgjP8mXP
>>187
■軍が指示して慰安婦を招致移動配置使用している。従軍と呼んで特におかしくはない(ネトウヨ本では教えてくれない日本史)
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○「外務省警察史 在九江領事館」(昭13)
「開館当時に於ける状況左の通 一、邦人関係 …所謂特種婦人の如きは軍の命令に依り移動し居れる状態なるを以て…」
URLリンク(www.awf.or.jp)(p477)
○今村均(陸軍大将)回顧録(芙蓉書房出版 P326-328)
同席していた軍の管理部長が、次のようなことを云いだした。
「話は下がりますが、きょう自動車で十五名ほどの抱え主につれられて、百五十名の慰安婦が到着し、軍管理部で、家屋の都合はつけました。
全部を南寧に留めておいてよいか、近衛部隊は南寧から八キロも離れた部落におりますので、そちらには何名ほど移らせたらよいか、ご決定を願い、
その方の設備は桜田旅団でやっていただきたいと存じております」
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
○「南方派遣渡航者に関する件」(台湾軍司令官 昭和17・3・12)
陸密電第六三号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人五〇名為し得る限り派遣方南方総軍より要求せるを以て、
陸密電第六二三号に基き憲兵調査選定せる左記経営者三名、渡航認可あり度申請す
URLリンク(www.awf.or.jp)(p203)
○岡部直三郎大将の日記 昭和13年1938年7月2日
3.娘子軍は、軍隊と共に前進しありて、師団の行動企図が事前に漏洩すること?々なり。
兵站部は、娘子軍を兵站自動車にて輸送し来ることあり。
URLリンク(ssstorage.jugem.jp)
○岡村寧次大将資料
現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」
○(ビルマの)松山には全部で24人の女の子がいて、「慰安」以外にも兵士の衣服の洗濯や料理、洞窟の清掃などの義務があったという。
しかし給料は全く支給されず、故郷からの便りも届かなかった。中国軍が松山を攻撃した際に、女の子たちは地下壕に避難したが、元々いた24人のうち、14人は砲撃によって殺害された。
URLリンク(www16.atwiki.jp)