14/02/13 05:39:07.30 egF9KIv+P
>>668
その引用している「日本人捕虜訊問報告 第49号」には、こうも書いてある、
>一九四五年五月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された
>東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。
>この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、
>そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
>これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、
>それに、楽な仕事と新天地??シンガポール??における新生活という将来性であった。
>このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。
> これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、
>大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、
>家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、
>彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。
売春をすることを知らずに「甘言」で騙され、軍規と楼主に束縛された状態を「奴隷状態」と言う。
これが「性奴隷」の語義。
暮らしが良かったというが、衣装代や生活費は楼主が法外な値段で慰安婦に引き取らせるケースが多く、
贅沢な暮らしぶりは、借金を膨らませるための、楼主の常套手段。江戸の吉原などでも同じ。
吉原の花魁が、豪華な衣装を着て、うまいものを食べて、客と「同伴」でなら外に出られても、
実際は、吉原から自由に出入りする権利ももたず、衣装代も食事代も借金に繰り入れられ、
借金に縛られた奴隷状態であるのと同じこと。