14/02/13 05:14:45.96 egF9KIv+P
>>665
レスすんなら、ちゃんと>643を読んだ上でしろよ。脊髄反射のバカレスすんな。
文玉珠のいたビルマでは、文玉珠が1943年から1945年に貯金した時期に猛烈なインフレに襲われている。
ビルマのレートは、1944年6月でビルマ750円の価値が、東京の24円程度、
1944年12月で東京の11円程度、1945年8月は東京の1円以下になっている。とても高給とはいえない。
出典:日本銀行統計局]編」「戦時中金融統計要覧」1947年 吉見の岩波パンフレットp.49から孫引き
また、文玉珠は1941年に一度軍慰安所を出て、1942年に自分で慰安婦に再応募した女性で、
もともと借金がない。前借金がない場合は、場所によっては6割が慰安婦の配分金になる。
さらに彼女は、前線に向かう兵士が代金以外にお金を送ったので、これだけの貯金ができたという。
だが、結局彼女はこの貯金を死ぬまで引き出せなかった。
これらの記述は全部、吉見義明の「従軍慰安婦」と岩波ブックレットに書いてあることがソースだ。
金銭の受け取りに関しては、
文玉珠以外にも、台湾の慰安婦で家族に送金したものが8名、郵便局や銀行に貯金したものが9名いる。
朝鮮人慰安婦は証言した19名のうち、料金を業者に渡したがあとで清算してもらえなかったものが7名、
料金のことは知らないとするものが5名、料金は業者が管理していたとするものが4名、
金銭を得たとするものは3名だけだ。
フィリピン人慰安婦は、裁判を起こしているフィリピン人慰安婦が、お金を払う慰安所形式ではなく、
監禁輪姦の事例が多いので金銭を得たと証言しているのは1人(しかも1ペソ)だけだ。
フィリピンで監禁輪姦の事例が多いのは、当時のフィリピンが抗日ゲリラの激しい地域だったから、
報復目的も含めて、女性ゲリラ兵やゲリラ兵の協力者、家族などが対象になったと説明される。
ちなみに、強姦は1942年より殺人や略奪に伴わない単独の場合でも罪になったので、
フィリピンでの監禁強姦の「軍による命令書」など存在しえない。
長々書いたが、重要なのは、奴隷が「報酬」を受けるのは、ローマ時代からの「普通のこと」であり、
報酬を受けたから「奴隷」ではない、という理屈は成り立たない。
慰安婦における奴隷制の事実認定は、自主的に廃業できる権利をがないことに由来する。