14/02/12 10:53:53.48 tD9IicK8P
>>680
軍票の暴落は戦中から(韓国史に詳しく日本史に疎いネトウヨ)
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○独立山砲兵第二連隊の平原一男第一大隊長(戦後に自衛隊陸将補)が湖北省洪橋付近にて軍慰安所を開設した際の模様
慰安所の開設にあたって最大の問題は、軍票の価値が暴落し、 兵たちが受け取る毎月の棒給の中から支払う軍票では、
慰安婦たちの生活が成り立たないということであった。
○私はフィリピンに従軍中(十八年四月~二十一年一月)、この100ペソB券、1000ペ
ソ券は勿論のこと、500ペソ券(十九年十一月中旬以降に東京からマニラへ輸送)も見たこ
はなかった。また、十九年末から、私は月給(陸軍中尉待遇・120ペソ)を受け取ってい
なかったし、請求もしたことはなかった。十九年末のマニラは、正に狂乱インフレで、月給を
もらっても無意味だったのだ。二十年二月、バギオではバナナ1本150ペソ、卵1個1,000
ペソ、甘藷1キロ1,000ペソであった。私の月給ではバナナ1本、卵1個すら買えな
かったのである。当時、フィリピンの物価は、一時間毎に高騰しているといわれていた。
[書き残しておきたいフィリピン戦秘史より]
(筆者は大東亜省から比島軍政監部勤務となりフィリピンへ)
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