14/02/12 06:19:56.03 tU3msz30P
>>330>>599
「慰安婦の月の総売上が1,500円程度」という話は、
有名なアメリカの「日本人捕虜訊問報告」第49号(1944年10月1日)がソースの話で、
「歴史事実委員会」が2007年にワシントンポスト紙に出した「事実」広告で、
慰安婦の待遇が良かったとされる証拠として挙げたので、ネットでも有名になっているんだろう。
それに対する反論は、吉見義明著岩波ブックレット「日本軍「慰安婦」制度とは何か」のp.46-51に詳しいが、
要するに、額面の大きさは戦争末期のインフレによるもので、
額面から考えられるような高給ではありあえないと言う話。
アメリカ戦時情報局心理作戦班の「日本人捕虜訊問報告」第49号は、
ビルマで1944年8月10頃連合軍に捕えられた20名の朝鮮人「慰安婦」と
2名の日本の民間人に対する尋問から得られた情報であり、
中部ビルマの平均的料金が、「兵1円50銭、下士官3円、将校5円」との証言と、
契約形態によって差があるものの、慰安婦は稼ぎの50%ないし60%を受け取っていたという証言から、
慰安婦が普通の月で総額1,500円程度の稼ぎを得、「楼主」に750円ほどを渡していた、と算出した。
またこの報告書では、慰安婦の取り分も、
「楼主」から、食料その他物品の代金を請求されたため生活困難に陥ったと証言を載せている。
日本軍が占領した海外の各地は、1943年頃からひどいインフレになり、とくにビルマとフィリピンが激しかった。
19444年6月のビルマ(ラングーン)での750円は、東京の24円程度の価値しかない。(12月には11円程度に低下)
また、慰安婦の配分金は、軍より強制貯金、国防献金などの名目で差し引かれたり、
「楼主」による法外な値段で衣装代・化粧品代などの日用品の借金繰り入れなどで、
取り分のほとんどは借金返済や天引によってなくなった。
さらに、よく知られているように、支払いが軍票で行われた場合は、終戦で紙屑になった。
ちなみに、2ちゃんでよく出る文玉珠の軍事郵便貯金は、結局死ぬまで引き出せなかった。
但し、台湾の慰安婦は名乗り出た48名中、44名が金銭を得たと証言している。