14/02/04 01:58:31.36 J1mJHtRt0
さてさて、小渕内閣が派遣を認めた年、まさにわたしは派遣労働者になりました。
派遣の仕事をしてすぐ、わたしはかつての「労働」の姿が急変したことを思い知りました。
ほんの10年前の「現場仕事」には、少なくともコミュニケーションがありました。
直雇用があったときは、雇う側も雇われる側も、互いに顔を知っています。朝、飯場に行けば親方に「おっ来たかい」と迎えられ、帰るときは
「ご苦労さん、あしたも来るだろ?」と声をかけられました。昼食の弁当付き、現場には組のトラックで向かうから交通費はかからない。
で、帰りには現金で10,000円をわたされました。いい夜勤仕事(ガラの運び出など数時間で片づく仕事が10,000円)があれば、まわしてくれ、
機嫌がよければ近所の居酒屋まで一杯に誘われました。労働のなかにも、信頼関係、助け合い、楽しみといった情の片鱗はありました。
派遣仕事においては、こういう人間関係はまず生まれにくいのです。
雇用側と完全にコミュニケーションを絶たれた派遣労働者たちは、
派遣労働者同士のコミュニティーをつくります。
そこに、「常連」とそうでないもののヒエラルキーがたちまちできることを、わたしは不思議な気持ちで見つめていました。
人がやることっていうのは、どんな環境でもそう変わらない。群れの形成、序列の確認は集団の必然です。
踏み込んで集団にまじわろうとしなければ、小さな輪は、かえって窮屈でした。
その自閉したような集団に、朝、現場近くの待ち合わせ場所で合流すると、どっと気分が滅入ったものでした。
仕事の帰り道や、事業所に少ない日給を受けとりにいくとき
「オレは〝労働力数値〟のまま生涯を終えるんだろうかなぁ」
と、漠然と思ったりしました。
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