14/01/22 15:08:22.50 pI59B6HuP
>>524
■1905年 伊藤博文が韓国皇帝脅迫、第二次日韓協約で韓国の外交権剥奪
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伊藤「本案は・・・断じて動かすあたわざる帝国政府の確定議なれば、今日の要は唯だ陛下の御決心如何に存す。
之を御承諾あるとも、又或は御拒みあるとも御勝手たりといえども、もし御拒み相成らんか、帝国政府はすでに決心する所あり。
其結果は果して 那辺に達すべきか、けだし貴国の地位は此条約を締結するより以上の困難なる境遇に座し、
一層不利なる結果を覚悟せられざるべからず」
皇帝「朕カ政府臣僚ニ諮詢シ又一般人民ノ意向ヲモ察スルノ要アリ」
伊藤「人民意向云々トアルモ定メテ是レ人民ヲ煽動シ日本ノ提案ニ反抗ヲ試ミントノ御思召ト推セラル
是レ容易ナラサル責任ヲ陛下自ラ執ラセラルゝニ至ランコトヲ恐ル
伊藤「事ノ緩慢ナルハ事情ノ許サゝル所ナレハ陛下ハ今夜直ニ外部大臣ヲ御召シアリテ林公使ノ提案ニ基キ直ニ協議ヲ纏メ調印ノ運ヒニ取計フヘキ旨勅命ヲ下サレタシ
(今夜のうちに大臣を呼び、日本側提案に基づいて協議をまとめ調印するよう命令なされよ)
■1909年 伊藤博文、今度は韓国の司法権を剥奪
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1908年末頃から辞意を表明していた伊藤統監は,1909年6月14日付で枢密院議長に転じ,新たな
統監には副統監曾禰荒助が就任した。伊藤は事務引継のため1909年7月渡韓したが,その際,自ら
の指揮で「韓国の司法及監獄事務を日本政府に委托の件に関する覚書」を調印させた(署名は曾禰統監)。
「司法覚書」成立の直接的な契機として,総理大臣桂太郎への伊藤の1909年7月3日付意見書を挙
げることができる。
URLリンク(m-repo.lib.meiji.ac.jp)
伊藤がやったことは他に皇帝を退位させる、韓国軍を解散させる、義兵運動弾圧など