14/01/18 16:06:48.75 5oaHPgti0
日本もこういうの追及したらいいんだよ
ほんと外交下手だな
戦後占領米軍による日本人婦女子陵辱事件[編集]
終戦後日本へ進駐した米軍将兵による婦女子陵辱事件は頻発していたにもかかわらず、1945年9月19日にGHQによって発せされたSCAPIN-33「プレスコード」によって、
それ以降は一切報道されることがなくなった。しかしそれ以降しばらくの間の事件については旧特高警察の記録に残されている。
1946年4月東京・大森で勃発した事件は特におぞましいものである。
《N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。
彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された》
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、
一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」 そして、
「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」--慄然とする内容である。[1]