14/01/12 12:52:49.10 kgRP94gw0
>>931
西尾幹二も自身の著書「ヨーロッパの個人主義」(昭和44年発行)で↓のように指摘しているが、
下記の「民主主義にせよ~」を「法律の観念」に置き換えても全く同じことが言えるねえ。
日本は欧米文化を取り入れる際、それを成り立たせる背景そっちのけで、単に上っ面を真似ただけなんだよな。
>民主主義にせよ、平等の観念にせよ、自由の意識にせよ、いずれもそれを成り立たせている背景の
>社会との関わりにおいてしか理解できないものである。
>イギリスの民主主義はイギリス人自身の生活の"必要"から出てきた結果にすぎず、あるいは現在の
>生活様式、行動様式の釣り合いのとれたある全体をさして民主主義といっているまでであって、
>イギリスの現実から切り離されたらなんの実体もないものである。
>しかし日本の場合には、これら近代理念はいずれも日本の現実に否定的に作用する未来の目標、
>もしくは価値として外国から与えられる習慣が続いているため、頭の中にこの世にありもしない
>勝手な空想図、ある意味ではお伽話的な理想の世界を描き出してきて、それが無意識のうちに
>久しく日本人全体の世論を形成しているうちに、日本のほうがやがてある意味でははるかに進んだ意識、
>現実とは釣り合わない観念上の「近代化」のみが急速に進められて、その行き過ぎに気がついて、
>日本人がふと逆もどりしようとすると、こんどはそれがヨーロッパではもともと当たり前なことであったり、
>ヨーロッパ人にとって単なる現実であることが、日本人には無理に意識しなければもはやなしえないこと
>であったり、そういう倒錯と混迷の背理のすべてに犯されている心理を私は「抽象文化」と呼ぶのである。