14/01/07 17:01:02.48 ur6yWwto0
まえがき 「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長 衆議院議員 中山成彬
昨年、南京事件発生70周年を迎え、アメリカにおいて中国系移民を中心として
南京事件についての映画が10本も作られるという報に接し、我々としても南京事件を
もう一度勉強し直そうと、戸井田とおる衆議院議員を小委員長として
「南京事件検証小委員会」を立ち上げました。南京事件について造詣の深い研究者や学者を
招き、当時の国際連盟の議事録やニューヨーク・タイムス、ロンドン・タイムス、
朝日新聞などの一次資料を細かく検証しました。
その結果、昭和12年12月13日の南京攻略戦は一部に宣伝されているような、南京市民を
30万人殺したとか、多くの婦女子を虐殺したものではなく、「通常の戦争であり、
それ以上でもそれ以下でもなかった」と総括しました。日本軍も多くの戦死者を出しましたが、
中国軍は最高指揮官が部下に指令を出すこともなく逃亡したこともあって、混乱し、壊滅的な
打撃を受けたというのが事実です。当時のニュース映画等を見ても、南京陥落後の市内の状況は
まことに平穏であり、むしろ市民の安堵した顔と日本兵に対する親愛の情すら伝わってきます。
当時、南京の人口は20万人で、事件後増えたという調査もあるのに、いまだ日本の
歴史教科書には30万人虐殺という表現が残っています。
この南京事件については、当時日本は国際連盟を脱退していて、日本に向けられる世界の
目は大変厳しいものがあった中で、国際連盟の理事会で顧維鈞中国代表が「南京で2万人の
虐殺があった」と演説したのに、特に採りあげられることもありませんでした。それが、日本が
戦争に負け、東京裁判で日本が一方的に裁かれる中で、事件後10年経ってにわかに
出てきたものです。
(『南京の実相 - 国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった』日新報道)