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奥宮正武氏「私の見た南京事件」より
1 第一日目
戦死した飛行機搭乗員たちの遺体捜索の第一日目は十二月二十五日、第二日目は十二月二十七日であった。
下関は、南京と揚子江の対岸にある浦ロとともに、交通の要衝であった。
浦ロは、私が上海着任直後に、最初に、爆撃したところでもあった。
下関にはかなり大規模な停車場と開源碼頭(波止場)があった。
そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が多数の中国人を文字通り虐殺している現場を見た。
(中略)
構内の広場に入って見ると、両手を後ろ手に縛られた中国人十数名が、江岸の縁にそって
数メートル毎に引き出されて、軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に投棄されていた。