13/12/29 00:42:34.45 t3fCK3l+0
>>1
【 漢奸 】
支那では時の権力に逆らった者は漢奸と呼ばれ、死んだ後も罵倒され続ける。
「死者にむち打つ」とは中国人にとって比喩的表現ではない。
日中戦争は大東亜戦争に拡大、
汪兆銘は南京国民政府を樹立、日本とルートをつけて平和をもとめた。
蒋介石を始め国民党首脳が奥地に去り、
だれかが現実的な行政を行なわなければ混乱は増すばかりだったからである。
しかし、汪兆銘は日本と手を組んだ裏切り者、「漢奸」という存在である。
汪兆銘は日本の敗戦の一年前、昭和19年、名古屋帝国大学付属病院で亡くなり、
遺体は飛行機で南京に運ばれ梅花山に葬られた。
妻の陳璧君は、後日、墓をあばかれ遺体が鞭打たれることを恐れ、
重さ5トンの鉄鋼を混ぜたコンクリートで分厚い墓殻を築いた。
日本の敗戦とともに蒋介石は工兵を派遣、
案の定、墓は爆破され遺体は蹂躙されたのだった。
日本人は、死者の悪口を言う人間を軽蔑する。
死者に鞭打つなど論外である。