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そして16年後、今度は自身が血祭りにあげられた。
金正日政権末期に実力者数人がナゾの死亡や失踪を遂げている。この実力者たちは今回、
張成沢事件を主導した組織の最高幹部だった。張成沢事件は、張氏に対する組織的な報復という逆転劇だった可能性がある。
2010年6月、党組織指導部第1副部長の李済剛の交通事故で死亡。
李氏は当時はポスト金正日の後見人の地位をめぐり張氏と対立していた。
李氏は2004年の張成沢失脚を画策、指示したとされ、長年の政敵だった人物。
このため交通事故死には張成沢関与説が絶えなかった。
翌2011年1月、柳京・国家安全保衛部副部長がスパイ罪で銃殺された。
柳氏は2002年小泉純一郎訪朝の北朝鮮側交渉者「ミスターX」だった。
銃殺は韓国情報機関が把握した。柳氏は2010年、南北首脳会談の水面下交渉でソウル入り。
このとき柳氏は韓国側から張成沢と韓国の特別関係を示す証拠を入手。これが原因で抹殺されたといわれる。
続いて2011年後半には国家安全保衛部第一副部長の禹東測も張氏から職を追われ、その後自殺した。
朝鮮労働党組織指導部は北朝鮮の党、軍、政府の人事権を持ち、粛清権も持つとされる権力機関。
秘密警察の国家安全保衛部は組織指導部の手足である。張成沢氏と両機関は積年の対立関係にあった。
だが金正恩氏世襲で後見人となった張氏は、権力を握った2010年から両機関の最高幹部失脚・粛清に手をかけたとみられている。
今回の張氏の粛清は両機関からの巻き返しで、最終的に張氏は報復された-との権力闘争が背景に取り沙汰されている。