13/12/16 22:35:16.10 FEoKJ7ApP
>>377
ネトウヨ君、そもそも日本軍が遠いシベリアになぜずっと居座るのか、そこがおかしいと思わないと
■皇軍はシベリア出兵であちこちで虐殺をしました
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イワノフカ事件
イワノフカ事件( - じけん)は、1919年3月22日にシベリア出兵中の日本軍が抗日パルチザンに対する掃討作戦の過程で
アムール州ブラゴベシチェンスク郊外のイワノフカ村(ru)において多数の民間人を殺害した事件[1]。
アムール州で日本軍により焼き討ちを蒙った村落は他にもあるが、もっとも大規模で残虐な被害を受けたのがイワノフカ村であった。[8] その事があって以来、村民の大部分は極度に日本軍を恨み、パルチザン軍13個中隊を編成する結果となった。一方、山田旅団長は
“ 赤衛軍ニ援助ヲ与エ若ハ日本軍ニ敵対セントスル村落ハ尽ク『イワノフカ』ト同一運命ニ遭遇スヘキヲ覚悟スヘシ ”
と威嚇を繰り返した。[9]
犠牲[編集]
共同通信の報道によれば、日本軍は制圧の過程で女性や子どもら、1歳半の乳飲み子から96歳の老人まで含む、257人を銃などで殺害、36人を小屋に閉じ込め焼き殺したという[1]。
近年[編集]
1994年、シベリア抑留者の慰霊碑を建てようと現地を訪れた全国抑留者補償協議会の会長は、村長にこう問われた。「あなたはこの村で日本が何をしたか知らないのですか」。
翌年、日露共同の慰霊碑ができた。[10] それ以来、ロシアのイワノフカ村では毎年、犠牲者の追悼式典が行われている。[1] [11] [12] [13]
一方、日本では多くの人、特に若い人はこの事件の存在さえ知らないと現地紙は報道している。 [14]