【北海道新聞】「日本人が憎い」慰安婦癒えぬ傷痕 「日本政府は私たちが死ぬのを待っている」 at NEWSPLUS
【北海道新聞】「日本人が憎い」慰安婦癒えぬ傷痕 「日本政府は私たちが死ぬのを待っている」  - 暇つぶし2ch684:名無しさん@13周年
13/12/15 16:50:06.54 E1o37ogXP
>>654
日本人の娘さんが騙された例
------------------------
○長沢健一元軍医大尉『漢口慰安所』図書出版社,1983年
女は昨日午後、内地から来たばかりで、今日検査を受け、あしたから店に出すことになっているが、検査を受けないと駄々をこねて困っているという。
私は女を呼び入れさせた。赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを
慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……
翌日、昨日の女が同じ二階回りと業者にともなわれてやって来た。……今日は覚悟してきたのか、おとなしく診察台に上がった。袖で顔をおおい、脚は緊張して固くなりぶるぶる震えていた。
〔その翌日〕女の泣き声が聞こえてくる。窓から外を見ると、隣りの戦捷館の洗浄場の窓から、昨日の女が身を乗り出して吐いていた。
URLリンク(www.ianfu-kansai-net.org)

○『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』光人社,2005年
帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。
大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、
「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた

○『ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘』(初出:新読書社,1967年)日本図書センター,1992年
 一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。
順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.386より重引用)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch