13/12/12 03:32:38.59 2de+ZD//i
>>198
第二次世界大戦はコミンテルンと朝日新聞が操って起きた。
まず、昭和14年の日米修好通商条約破棄はコミンテルンのノーマンの南京大虐殺デマの世論誘導があったからこそ。ノーマンは赤狩りで自殺。
また、ハルノートをドラフトしたハリー・ホワイトは、原案にあった日本が手をひく対象を「満州を除く中国」から「中国」に変えて日本を戦争に追い込んだ。ホワイトは赤狩りで自殺。
資源確保のため北進か南進しかなくなった
日本を日ソ不可侵条約で北進の道をふさいだのは近衛と尾崎秀美。
近衛は自殺。尾崎秀美は、ゾルゲ事件でコミンテルンのスパイとして死刑。
南進をすすめた革新官僚の巣の企画院は、スパイの巣だっだ。
企画院事件が有名。
企画院事件
1941年企画院の調査官,職員17名が治安維持法違反容疑で検挙された事件。
1940年11月,
企画院はより強力な戦時統制経済の確立をめざして〈経済新体制確立要綱〉を発表したが,これは〈高度国防国家建設〉〈公益優先〉を大義名分として,
資本と経営の分離,利潤配当制限,統制団体役員の政府による任命制など私企業への官僚統制の強化を意図していた。
戦後には企画院の官僚だった和田博雄は、分裂後の左派社会党の大幹部に転身。
日米双方がコミンテルンに操られていた。
朝日は戦前・戦中は敗戦革命を狙っていた。敗戦革命とは自国を対外戦争を誘導し、敗戦させてそのドサクサに革命する手法だ。ロシアはそれでソ連になった。