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>>250
■フィリピン教科書
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「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」東南アジア編(p244・245)
○高等学校二年生用「フィリピンの歴史と政治』(英語)
レオディビコ。C・ラクサマナ著フェニックス出版社発行一九八七年版
ゲリラ戦争
激しいゲリラ戦がフィリピン愛国者によって続けられ、日本軍にたえまなく痛手
を与えた。教員、学生、司祭、政治家、地主、医者、社会運動家、著述家、労働者、
それに女性や子供までも、その抵抗運動に加わった。武器が足りず、食糧も乏しか
ったにもかかわらず、これらフィリピン人ゲリラたちは敵の警備兵を襲撃し、日本
軍守備隊を攻撃し続けた。戦いと平行して、日本軍の船や軍隊の動向、要塞、飛行
機についての重要な情報を集めた。彼らは集めた情報を整理して、オーストラリア
にあるマッカーサーの司令部に無線で通信した。
フィリピン人ゲリラ指導者のなかで指導的立場にあった人には、パナイのマカリ
オ・ペラルタ・ジュニア、カマリーネス・ノルテのウェンセスラオ.Q・ビンソン、
イロコス・ノルトのロケ.B・アブラン、カガヤンのギレルモ・ナカール、山岳地
方のバド・ダンファ、ネグロスのサルバドール・アブセデ、ラグナ、リサール、タ
ヤバス地区のエィハスタン.V・マルキング、レイテのルペルト・カンレォン、ボ
ホールのカルロス・P・ガルシア、ラナオのモハメド・ディマポロ・アリ、それに
コタバトのサリパダ・ペンダトゥンがいた。彼らは実戦に加わったわけではなく、
広い地域で隠れた軍事行動をとっていたのだが、イロイロやブリハダールのトマ
ス・コンフェソール知事、カピスのマヌエル.A・ロハス大将と同じく、抵抗運動
に重要な役割を演じた。幾人かのアメリカ人、例えばウェンデル。S・ファーティ
グ、クロード.A・ソーペやヒュー・ストローン、バーナード.L・アンダーソン、
ロバート.E・ラパム、ウォルタ-.M.クーシング、ラッセル.W・フォルクマ
ン、それにエドウィン.F・ラムシは、その運動に顕著な働きをした。