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日本人が強制した証拠↓
鹿児島県奄美諸島の沖縄戦
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沖縄戦は沖縄県だけの戦争ではありません。奄美諸島でも戦われていました。
奄美大島や加計呂間島ではヤンゴの女性達が慰安婦としての役割を果たしていた。これに近いのが喜界島の場合である。
喜界島に駐留していた陸軍の独立混成第22連隊第3大隊(隊長 田村道之助少佐)では、将兵の鋭気培養のため喜界町に慰安所の設置を求めた。(註1)
だが町は協力しなかったようで、田村少佐は町長に軍に非協力的だと暴言を言って威嚇したという。(註2)
すると軍では今度は西平守俊氏に命じると、奄美大島から13名の女性達が連れて来られ、田村部隊本部隣の滝川集落西南方に慰安所が設置された。
営業利益は軍に寄贈されたという。慰安所の経営者5人は西平氏を始め、全員が喜界島赤連に現住所がある人達だった。
だが折角設置した慰安所も軍が「色より食を望む」状態のため(註3)、あまり活用されなかったようだ。
また喜界島の慰安所については、上級指揮官が慰安所の女性を独占し公舎に出入りさせたり、
空襲の際に女性を連れて我先に退避したりして、部下から嘲笑されるということもあったようだ。(註4)
慰安所が当初想定した兵士ではなく、指揮官が利用したのは本末転倒という他ない。
(註1)福岡永彦『太平洋戦争と喜界島』(私家版 1958) 121頁