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取り違えられた男性の弟の1人は、「母親が生前、『いちばん上の兄が自分の子かどうか違和感を覚える』と
何度か話していたことが1つのきっかけになって、探し始めた。実の兄を見つけ出すまでは本当に大変で何度も
くじけそうになったが、家族として、実の兄に一目会いたいという思いでこれまでやってきた」と述べました。
◆「なぜこんなにつらい人生なのか」
取り違えられた男性はNHKの取材に対し、「今まで長い間苦労をしてきて、何でこんなにつらい人生なんだろう
と思っていた。取り違えが分かってからの数か月は毎日、涙が出た。こんなことがなければどんな人生だったのか
を考えると悔しさが募り、病院に対しては怒りしかない。でも、苦しい生活の中でできる限りのことをしてくれた
元の母親やかわいがってくれた兄弟には感謝の気持ちしかなく、複雑な思いもある」と話していました。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
判決によると、男性は1953年3月に同区の「賛育会病院」で出生。この病院で13分後に生まれた子と
取り違えられ、別の夫婦の実子として育てられた。男性の戸籍上の父親は55年に死去。生活保護を受け、
兄2人とともに母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職した。働きながら定時制の
工業高校を卒業し、今はトラック運転手をしている。
一方、男性の実の両親(いずれも故人)は経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子も含めて、
兄弟計4人はいずれも私立高校から大学に進学した。
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