13/11/25 10:22:41.02 fWIibSXrP
>>390
■強姦は皇軍名物だった(2)南方編(韓国史に詳しく日本史に疎いネトウヨ)
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○友清高志「ルソン死闘記」
リパ地区H憲兵の野太い声が、耳の底にまだ残っている。
「敵が上陸するまで強姦するな。上陸したらかまわんからやれ。ただし、やった女は必ず殺してしまえ。」
○ベイビューホテル事件
この事件は、マニラ戦の最中の2月9日から12日(一部は13日)にかけて、日本軍がマニラの中心にあるエルミタ地区の女性たち数百人をベイビューホテルとその近くのアパートメントに監禁し、
日本兵たちが次々と強かんを繰り返した事件である。被害者には、フィリピン女性だけでなく、アメリカ、イギリス、スペイン、ロシア、イタリアなど欧米諸国の女性たちも含まれている。
URLリンク(www.geocities.jp)
○1942年5月2日陸軍省局長会報
(法務局長)25A〔第二五軍〕の独立速射砲第一連隊〔大隊の誤り〕の現役大尉がクアラルンプールにおいてマレー人の妻女を強姦、
その時計五~六個を掠奪し、更にジョホールの第三王女をだまし、写真機を詐取し、強姦、掠奪、詐取の犯罪を犯かせるものあり。
(兵務局長)25Aはクアラルンプールに来る迄は兎角の評判ありしも、この事件を契機として爾後面目を一新せり。
(法務局長)比島方面においても強姦多かりしが、厳重なる取締をなしたる結果、犯罪激減せり。
(兵務局長)比島は他の地域に比し比較的多かった。しかし、支那事変に比すれば少ないといえる。
○1942年5月9日陸軍省局長会報
南方軍の犯罪件数二三七件。大体において支那事変に比し少し。14A〔第一四軍〕には強姦多し。女が日本人向きなるを以ってなり。
○1942年8月12日陸軍省局長会報
南方の犯罪六一〇件。強姦罪多し。シナよりの転用部隊に多し。慰安設備不十分、監視監督不十分に起因す。
拘禁所には何処も二〇〇名収容しあるが、何れも三、四名の法務官が処理しあり。
URLリンク(sengosekinin.peacefully.jp)