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ライダイハン
ベトナム戦争に参戦した各国の軍人や軍属の中にはいわゆる現地妻を作るものがおり、その結果、南ベトナムでは
多数の混血児(コンライ=Con Lai。Con=子供、Lai=混血)が生まれました。
それらの混血児の内、アメリカ人との混血児はミライ(My Lai。My=美=アメリカ)と呼ばれ、韓国人との混血児は
ライダイハン(Lai Daihan。Daihan=大韓=韓国)と呼ばれました。
そうした子供たちは南ベトナムからの米韓豪連合軍の撤退によりベトナムに取り残されベトナム社会で「敵の子」
として迫害されました。父親に置き去りにされた彼らはストリートチルドレンになることもありました。
アメリカ政府はそうした混血児に対しアメリカに呼び寄せる努力をしました。
1989年に履行されたアメラジアン帰還法によりおよそ25,000人のベトナム系アメラジアンがアメリカに渡っています。
彼らの76パーセントが実の父親に会うことを望みましたが、父親の名前を知っていたのは30パーセントだけで、
実際に父親に会えたのは僅か3パーセントに過ぎませんでした。
オハイオ州立大学の調査によると、ベトナム系アメラジアンの人数は77,000人に達します。