13/11/12 21:51:23.06 PkstlqUs0
キム・ボットン
故郷の 『朝鮮の村にジープに乗った日本軍』 がやってきて誘拐され、
『日本軍のヘリコプター部隊』 の基地に連れていかれ、
『クリスマス休暇中の日本兵』 にコキ使われるなど
『昭和23年まで』 解放されませんでした。
日本兵には毎日のように 『ブーツで』 けられるなど、イジメられましたが
日本兵たちは全員 『8発も連射できるライフル』 を持っているので、
逃げたくても、とても逃げきれないと思いました。
『ペニシリンを数週間ごとに』注射されて痛い注射を繰り返しうたれました
ジープ
第二次世界大戦中の1940年にアメリカ陸軍の要請により開発着手され、翌1941年から実戦投入開始された。
日本陸軍がフィリピン作戦にて鹵獲、内地に持ち帰る。これをコピーするようトヨタ自動車に命じ、1944年8月に
試作車5台が出揃い御殿場で試験されたが極度の資材欠乏と労働力低下から生産が間に合わずジープの
ような活躍の記録はない。(wikipediaより抜粋)
ヘリコプター
軍事目的では、第二次世界大戦末期に実戦投入され、英領マレー(現マレーシア)での対ゲリラ戦や朝鮮戦争でも
利用されているが、日本では、1945年には在日の米進駐軍が使用し日本人を驚かせた記録が残っている。
(wikipediaより抜粋)
ペニシリン
(抜粋)
日本では、1943年にドイツの医学雑誌から存在を知った陸軍軍医学校で開発が始まり、翌1944年に少量ながら生産に成功。
「碧素(へきそ)」と名付けられ、数人の患者に投与されて実績を挙げたが、大量生産には至らないまま終戦を迎えた。
角田房子「碧素・日本ペニシリン物語」