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1910年の「韓国併合」当時、外務省政務局長として対韓政策の原案を作成した倉知鉄吉(元外務次官)は、「併合」という新語を用いたわけを後に覚書に次のように記している。
「併合」の意味がよくわからず、両国が対等で一つになるとか、オーストリア・ハンガリー帝国のような連邦国家ができるかのように解する人もいた。
自分が「併合」という造語を使ったのは、「韓国が全然廃滅に帰して帝国の領土の一部となるの意を明かす」ためであり、同時に「其語調の余り過激ならざる文字」として選んだものだった。
日本が侵略でもって朝鮮半島を植民地にしようとしていたことがよく理解できる証言だな。