【社会】「ヘイトスピーチに言論で対抗を」は、いじめ被害者に「闘え」と言うのと同じ…ヘイトスピーチ規制、安田浩一氏ら3氏に聞くat NEWSPLUS
【社会】「ヘイトスピーチに言論で対抗を」は、いじめ被害者に「闘え」と言うのと同じ…ヘイトスピーチ規制、安田浩一氏ら3氏に聞く - 暇つぶし2ch5:諸星カーくんφ ★
13/11/02 02:42:35.03 0
>>4の続き)

 そもそも、表現とは誰かを傷つける可能性があるものだ。誰に対し、どこでなされるかによって性質も変わる。オープンな場で意見を
表明した場合は、政治的表現となる可能性もある。規制すべきかを論じるうえで、まず重要なのは、民主主義の視点から表現の価値
を考えることだ。

 人種や民族、性別などを理由とした集団に対する差別表現は、何の責任もない被差別者の尊厳を傷つける。こうしたものに、表現と
して守るべき価値がどれほどあるだろうか。表現には表現で対抗すべきだという意見もあるが、有効な反論ができるかは疑問だ。
相手が怖くて反論できないこともあるだろう。社会に差別構造があれば反論をまともに聞き入れてもらえない。

 私は在日韓国・朝鮮人の学生とも接しているが、何気ない表現にも落ち込む姿を目にすることがある。ましてヘイトスピーチは相手を
意図的に傷つけるものだ。一方的に標的にされる側はたまらない。そうなると、選択肢として規制もあり得るように思える。

 しかし、一方で規制導入を最も望んでいるのは政府だということをよく考える必要がある。規制の権限を与えても問題ないと言えるほど、
政府は信頼できるだろうか。時には過激で差別的な言葉を用いて政治的な抗議がなされることもありうる。規制すべき表現と規制すべき
でない表現の線引きは簡単ではない。だが、政府に規制権限を与えれば、正当な政治的表現まで禁じられるおそれがある。そう考えて
いくと、やはり規制には慎重にならざるを得ない。

 ヘイトスピーチの根本的な問題は差別にある。一部の日本人が韓国を嫌い、脅かされていると感じるのはなぜか。アメリカでは、
貧困層に属する白人の若者が、アジアやヒスパニック系の若者に職を奪われると感じて対立していると言われるが、日本の場合は
一方的な偏見が根底にあるのではないか。社会的に注目されたのを契機に、差別自体に目を向けるべきだ。

 「そもそも在特会の主張は正しいのか」「日本と朝鮮の間に過去に何があったのか」。規制の導入は、疑問を持ち、議論すべき問題に
ふたをすることにつながる。差別を解消しない限り、どんな規制も対症療法でしかない。

(終わり。用語の解説・各人の略歴などはソース元でどうぞ)


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