13/11/01 17:16:33.77 nplMs5L50
>>514
戦地での裁量により、慰安所閉鎖をもってとりあえずそうしたってこと。
あんたは二重に処罰しろとむやみに悪くいうが、そもそも論として裁判自体もいいかげんなもの
しかも、裁判の証言やらまだ未公開なものがある。
何度もあんたは指摘されているね? あんたの脳みそどうなってるの?
白馬事件(オランダ人慰安婦) 強制売春の真相: 森羅万象の歴史家 より一部抜粋
URLリンク(oncon.seesaa.net)
この「事件」を裁いたのは、オランダによって開設された「バタヴィア臨時軍法会議」です。
第二次世界大戦後の日本軍戦犯裁判は、A級戦犯を裁いた「東京裁判」でさえあの体たらく、
ましてやBC級裁判にいたっては何をかいわんや、です。
さらに、BC級裁判のなかでも、もっとも酷かったのがオランダによるものです。
日本人捕虜の虐待、誘導尋問、証拠原則の無視、デッチアゲ等はあたりまえ。
オランダ本国では賞金つきで証人を募集したり、当時のインドネシアに在住していたオランダ人は
証人として名乗り出ることが半強制的に求められたとも(もちろん、これらの証人は、
日本側に不利な類の証言をすることを、当然のこととして求められたのでした)。
(中略)
裁判とは、名ばかりのものです。2025年に記録は開示されるようです。
この裁判のいい加減ぶりを、2、3示しましょう。
・S.I.陸軍大佐;スマランで慰安所が開設された当時、S.I.陸軍大佐は公用のため東京におり、
慰安所開設には一切かかわっていないのに、懲役15年の刑を言い渡されている。
・S.N. 陸軍大尉(軍医);S.N. 陸軍大尉はこの慰安所(「将校倶楽部」)の慰安婦の検梅
(花柳病すなわち梅毒の検査)の任にあたっていたのですが、S.N. 陸軍大尉の任務は”検査”のみ
であって、”治療”には一切責任も権限もなかった。
しかも、S.N. 陸軍大尉が検査したなかには梅毒患者は一人もいなかった。
しかしながら、後にオランダ人慰安婦の中から梅毒が見つかったので、その責を問われて、
16年の刑が言い渡されています。
この梅毒にかかった慰安婦は、他所で”商売中”に感染した可能性があるのでは。