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金学順「母親に40円で女衒に売られた」
1991.8.15 ハンギョレ新聞 金学順
生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番に売られていった。
三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、
検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった
金学順
1924.10.20、中国東北(満州)の吉林省に生まれる。
生後間もなく父が他界し、2歳の時、母に連れられ平壌へ。
14歳のとき母が再婚し、15歳の時、40円を受け取ってキーセン
(※芸妓、芸妓兼娼婦のこと)を養成する家の養女となる。
17歳の時、キーセン学校を卒業するが、19歳にならないと役所から
キーセン許可がおりない為、1941年、養父に連れられ中国に行き慰安婦となり、
4ヵ月後に朝鮮人男性と共に逃げ出す。
1991.12 「裁判の訴状」 金学順
養父に「金儲けができる」と説得され、トラックに乗せられて
平壌駅で軍用列車に乗り換え中国の鉄壁鎮に行く。
そこで養父と別れた後、慰安所に入れられる。
1992.4 「元兵士たち証言 従軍慰安婦」金学順
部落の人が日本の警察官と一緒にやってきて、
「お金がたくさん稼げるところがある」と説得される。その後、
トラックと軍用列車で中国に連れて行かれ、鉄壁鎮の慰安所に入れられる。
1993.10 「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」金学順
養父が「中国に行けば稼ぐことができるだろう」と言い、
養父に連れられ平壌から汽車に乗って中国に行く。
北京で日本の軍人に捕まり、同女は鉄壁鎮の慰安所に連行される。