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>>675
いい加減現実を見ようぜw
<2007年 日中越国際会議の「東アジアの文化交流―仏教と水田稲作の伝来>
URLリンク(www.hokkai.ac.jp)
昨年12月、ベトナムのホーチミン市で開催された日中越国際会議の「東アジアの文化交流―仏教と
水田稲作の伝来」(川端)では、これまで大陸から朝鮮半島を経由して伝来したとされてきた仏教も稲作も、
新しい科学的な年代測定により、中国南方からの直伝が確実視されることが報告された。
仏教については、基本的な用語のほとんどが中国南朝の呉音の読みなので、日本の仏教が江南から伝来
したことは疑いなかったのであるが、さらに2001年、年輪年代法により、法隆寺の中心柱の伐採が西暦594年と
断定され、寺院建築もまた南朝から伝来したことが確実となった。
その当時の南朝尺で、法隆寺の用材の寸法がとられていることが判明した。これまで飛鳥様式といわれてきたのは、
実は中国ではすでに失われてしまった南朝様式を今に伝えるものだったのである。
水田稲作についてもまた、2003年になって、ようやく日本の国立歴史民俗博物館なども、炭素14による
年代測定を受け入れ、筑紫での水田稲作の開始、つまり弥生時代の始まりが500年も早まり、いまから
2800~3000年ほど前ということになった。韓国ではすでに早くから炭素14による年代測定を採用しており、
百済の水田稲作遺跡は2800年前のものだとされていた。筑紫も百済も、ほぼ同じころに水田稲作が伝来
したことになる。韓国から500年遅れで稲作が伝来し、急速に近畿まで広がったというこれまでの定説は覆った。
500年も狂えば、諸説はすべて根本修正が求められる。
(容量オーバーになるので後略)