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中韓の犬である朝日新聞社でさえ、書いているんだね。
韓国 軍も企業もベトナム参戦
URLリンク(www.asahi.com)
■韓国軍による虐殺、民主化で明らかに
99年、韓国の「ベトナム戦争」観を揺さぶる出来事が起きた。
主要な週刊誌である「ハンギョレ21」が「韓国軍が、ベトナムで老人や子ども、
女性をたくさん殺していた」との記事を掲載したのだ。
記事を書いたのは、ベトナムに留学中だった歴史専攻の大学院生、
具秀セイ(ク・スジョン)さん(41)。韓国は92年にベトナムと国交を正常化し、
具さんは翌年に留学した。
97年暮れには、長いこと軍事政権によって弾圧されていた金大中(キムデジュン)氏が
大統領に当選。こうした状況でパンドラの箱が開けられた。
ホーチミン市で今も事件の調査を続ける具さんに会った。
きっかけは、韓国軍による民間人虐殺を調べたベトナム当局の内部文書を入手した
ことだったという。「妊婦や子どもを殺したという内容に驚いた。
生き残った人から話を聞き、文書の内容が間違いないことを確認した」。
具さんは、自らの聞き取りをもとに虐殺の被害が少なくとも9000人に及ぶとみる。
かつて韓国軍が駐屯していたビンディン省。
タイビン村では、アヒルや鶏が小道を横切り、水田では水牛が遊んでいた。
「この傷を見てくれ」。グエン・トン・ロンさん(56)は、突然、ズボンを下ろして足の傷を
見せた。手榴弾(しゅりゅうだん)の破片が体中に残っている。痛みに耐えられないときは、
酒を飲む。この日も赤い顔をしていた。
事件は66年2月に起きた。朝9時過ぎ、集落に入ってきた韓国兵が、村人68人を
1カ所に集め、うつぶせにさせた。一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂(さくれつ)させた。
12歳だった妹のフォンさんは頭をやられ、母は両足を一瞬にして失った。
そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして泣き出した。
「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私も足をやられ、動けなかった。
母に何もしてあげられず申し訳ない」。村で生き残ったのはロンさんら3人だけだった。