13/10/14 11:38:59.91 2m+6Ul+x0
働く喜びを得られる社会を希望する人間に、「働く喜びを感じられないってことは不幸なことじゃないかなぁ」
などと平気で言ってしまう無知もしくは無神経。そんなやつこそ「努力」できちゃう。そして社会人などと名乗るw
これが社会イジメでなくなんであろうか。そうやって無邪気にさんざん苦しめてきた奴が形作る社会とはその程度のものだ。
まどわされずに生きよう。報いなど真実の価値を折ってまで得ようとする卑怯者の手にくれてやれ。
ただし、それを価値や正義などと名乗らせるな。
それはとても複雑で困難なこと。だれかに伝えたいという気力も失うほどに。
ものいえぬ者にはそういう人がたくさんいる。そういうものはそのままおし殺されてゆく。
そこから社会適応へと逃げ出すものもいれば、自殺するものもいる。
だからつづく。この状況が正しいとされつづけているのだ。
そのような迫害状況の中では、確信がないのならそのような心的状態を続けるのは困難だろう。
考えることをやめるしかなくなる。堕落。こうしてニートや無気力な若者は出来上がる。
そういうわけで、日本がある程度の豊かさを保ち、貧乏が信念をおびやかさないうちは、
どんな対策(ごみ掃除)をとろうと、ニート(ゴミ)はふえつづける。
まあどれだけそんなに高尚で純粋な思いからニート化してるひとがいるかはしらんがな。
ニートが精神的においつめられてるのは、
上記のような反社会的とも受け取られがちな考え方と実際の社会通念とのギャップのなかで
自分の居場所とその考え方が存在する場所が許されもしないから。
その現実への自問自答と葛藤が苦しみになりパニックになる。
ニートの無気力、他人との意思疎通拒否、自傷や自殺などは、このような考えは存在していけないものとされることへの
絶望とあきらめが表へでたものなのだよ。
自然に生きるなら、社会に埋没した者よりずっと心地よく純粋な感動、よろこび、楽しみを持てる。それだけが救いだろう。
ひとついえるのは、こんなことを言わせる自称「立派な社会人」などに、人を評価できる資格などあろうはずもない。