13/10/09 01:33:42.68 4YUE52QH0
>>531続き
たとえある程度の言論の自由は普遍的な人間の権利であると見なすとしても、
この権利は絶対的なものではない、とする考えは捨てがたい。
その発言内容があまりにも脅迫的であったり、卑劣であったり、
世間一般が考える道徳的、宗教的な見解に反している人びとは、
言論の自由がよりどころにしている指標と言うべきものに対するいかなる権利も
失ってしまっているのだという考え方だ。
しかし、そのような留保事項は大原則を崩す。
そうした考えは、支配者が容認する、あるいは少なくとも支配者を脅かすことのない、
意見、嗜好、偏見だけを不適切に保護する可能性を残してしまうのだ。
われわれは、軽蔑すべき者たちを黙らせる力を持てるかもしれないが、
それは、より大切な政治的正当性を犠牲にしてのことになる。
……大原則は不可分であり、それを分けようとする時、
われわれは自らを危険にさらすことになる。
目の前の目的のほうが大切だからという理由で自由について妥協する時、
われわれは、その妥協を利用する権力者が自分たちの仲間ではなく、
結局のところ、死刑宣告をも辞さない神がかった宗教指導者や、
自分自身の嫌悪の基準を持つ頑迷なモラリストの側にあることを発見するだろう。
―ロナルド・ドゥオーキン