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91歳になる祖父は20歳の時に召集されフィリピンの孤島に派兵された。
激戦区の一つと言われ90%以上が戦病死・餓死したという。
祖父も米軍の焼夷弾を受け、右耳の鼓膜破裂と、背中に大ヤケドを負った。
意識を失って野戦病院に運び込まれたという。 完全回復してからも、辛苦の連続だったという。
食い物がないので、ヘビでもカエルでも昆虫でも、何でも食った。
水を求めて川辺に行くと腐敗臭が漂い、ごっそり日本兵の遺体があった。感染症も蔓延してた。
祖父たちは戦傷者や傷病者を背負って移動していた時期があったが、体力の限界で置き去りにしていったともいう。
「じいちゃんだって死に物狂いで移動してたのに、置いていかなかったらこっちまで死ぬ」と俺に言った。
爆弾の直撃にあって亡くなった部隊長を担いだ時、ゴボゴボっという音がして血が噴出し、
祖父が大量の血に染まったという話も聞いた。
幼かった俺はずっと「じいちゃん、絶対に嘘でしょw」と言ってたが、
生存者たちが記した戦友記に全て記載があって驚愕したのだ。全て事実だった。
しっかり、○○君(祖父)が意識不明になり、、とか、○○君と部隊長を担ぎ、、とか記載してあった