13/09/26 00:23:20.08 OoSnBKpjP
中韓の民族性 = 儒教
儒教は現世利益のみを重視し、来世のことはないものとする。ここが宗教との違いだ。
そして身近な人には親しみを感じ、離れるほどそう思わない。博愛精神が存在しないのも儒教の特徴だ。
儒教は一族意識が強く、自分の一族を大事にすると言う考え方だ。一族を守るためにはどのような行為も美徳として語り継がれる。犯罪であっても正当化され、結果自分達のためならば何をしても良いとなる。
こういう考えだから他の一族は必然的に敵になる。そこに不幸があれば喜び、
幸運があれば足を引っ張り攻撃する。さもあればそれを漁夫の利で自分達の利益にしようとする。
儒教では必ず上下関係が無ければならない。そこでどちらが上か、優劣を付けようとする傾向になる。
だから支那や朝鮮に対し友好的に付き合おうとすると、彼らは自分達が上だと勘違いしてしまうのだ。
「朝鮮人は対等という意識が無く、(相手を尊重すれば)自分が上だと勘違いする」ことが言われている。
まさにその通りで、支那や朝鮮と対するときにはまずどちらが上か、と言うのを知らしめることからやらないと今の日本のようなとんでもない事になってしまう。
連中は無条件に日本を見下し、侮辱しても構わないと心の底から思っているわけだ。
もし日本の方が条件が良ければ、自分達に必ず貢がねばならないと思っているし、足を引っ張り突き落とそうとする。
そうした関係を作ってしまったのは戦後日本の外交及び教育の責任である。
数年前の安倍政権時代、安倍総理大臣は支那を調べ上げ、彼らのそんな特徴を事前に勉強した上で訪中した。
その様子を見て胡錦濤は日本との対応を考えるようになった。だから安倍総理の任期中には支那は日本にほとんど難癖を付けなかった。民主党になり媚びを売るようになると途端に態度を変え、徹底して反日を強くした。
彼らの国では、相手が弱ければ蹴落とせと言う概念だ。彼らと「友好」を作り上げたいならば「対等」の認識を作らせねばならない。
彼らにとっての友好とは「朝貢者」のことである。だから彼らに媚びるものを「良心的日本人」などと言ってもてはやす。それを絶対に忘れてはならない。