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かつて朝日新聞が輝いていた時期があった。同紙の論説委員を務め、のちに産経新聞専務取締役となった土屋清は、
人間に人格があるように新聞社には「社格」または「聞格」があると書いた。
社格とは、その新聞が社会の公器としての自らの存在をどこまで自覚し、
公器たるに足る報道をなし得るかによって育まれるものであることを土屋は説いている。
往年の朝日新聞のあの輝きはどこに消えてしまったのか。どうして三流ジャーナリズムのような手口を得手とするようになったのか。
麻生太郎副総理の発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である。
八月一日と二日、朝日の紙面は後述する麻生発言で「熱狂」した。
日によって一面の「天声人語」、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で批判を展開した。
麻生氏は発言を撤回したが、それでも朝日は全面的攻撃を続けた。
討論会の主催者兼司会者として現場に居合わせた者として、その日のことを振り返ってみたい。
私の実感からすれば、後述するように、朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない。
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