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与謝野馨
1963年東京大学法学部卒業。
母の知人・中曽根康弘の紹介で日本原子力発電に入社する。
日本原子力発電では、当初技術部に配属され
後に外交官となる今井隆吉係長の薫陶を受け、英語専門文献の翻訳なども手がけた。
後に事務系に転じ、米国での資金調達や原子力保険といった金融業務に従事していた。
会社の命により、民社党の核拡散防止条約に関する訪欧調査団に原子力の専門家・通訳として同行
佐々木と共にドイツ滞在中には中曽根康弘と邂逅、2人の政治家の食事のお供などをしたが
このことが政界入りの直接の契機となった。
中曽根とは就職の斡旋以来、勉強会などを通じて親交があったが
帰国後にやはり同じ勉強会のメンバーであった渡邉恒雄を通じて秘書にならないかと誘いを受けた。政界へ [編集]
1968年日本原子力発電を退職し、中曽根の秘書となる。
この頃読んだシュテファン・ツヴァイクの「ジョセフ・フーシェ」は愛読書の一つであり、著書などでフーシェに触れることが多い。
1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧 東京都第1区から自由民主党公認で立候補するが落選。
1976年12月の第34回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補し初当選。中曽根派に所属する。