13/09/23 21:31:44.65 rKl0ozF0P
>>456の続き
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しかし、崔麟の記録を裏付ける主張がいくつも出ている。
中国の知識人である梁啓超は、
1910年9月に書いた文章の中で、合併条約発表をめぐって周辺国の人々は彼らのために
涙を堪えられないのに※、
当の朝鮮人たちは楽しそうにしており、高位の官吏らは毎日、
新時代での栄爵を得ようと嬉々として奔走するだけだった、と主張している。
信じがたい言葉だ。ただ、当時の朝鮮人たちが「日常」を失わなかったという点は納得せ
ねばならないようだ。実際、8月29日当日は意外に平穏で、反対デモも全く無かったという。
当時の朝鮮民衆は既に諦めの知恵を持っていたのかもしれない。
韓国日報(韓国語)(2007/08/28 18:00)
URLリンク(news.hankooki.com)
===================================================引用終わり======
※引用者註・・・周辺国とあるが、涙を流したのは属国にしていた清国だけ。 (他にどこの国が涙を流すというのか?)
>当時の朝鮮民衆は既に諦めの知恵を持っていたのかもしれない。
それは違う。民族意識(=民族)が無かったのだ。
現在の韓国人達が持っている過度の民族意識が当時にもあったと思う事、
それが韓国人達の捏造歴史の種であり、(歴史詐欺の)被害者である我々日本人からすれば
捏造歴史を受け入れる素地になった。
つまり民族意識(=民族)が無くて抵抗しなかったのに、
「抵抗しなかったのは(現在の韓国人の激しい民族意識を当時の人々にも投影して)凄まじい弾圧をしたからだ」となり、
それに合わせるように嘘の歴史が作られていったという事。
これが韓国で捏造歴史が大きくなっていった背景であり、
日本人が騙される原因にもなった。ではあの激動の時代、民族意識が生まれなかったのはどうしてだろうか?
日本の場合はどうだったか?