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「合理化により奪われた労働条件を奪い返す闘い」
船橋闘争の過程は同時に、職場では「反合・運転保安闘争」が激しく闘い抜かれていた。74年3月には、全国でもはじめての
『列車の最高速度規制』(全線区10㎞/h減速)を勝ち取り、さらに、「9月北総電化と対決する反合運転保安闘争」では、
運転時分=ダイヤの設定を組合側がタッチする、
つまり運行管理権の一部を労働組合が握るというかつてない成果を勝ち取った。さらに翌年75年の3月ダイ改でも、
特急列車の2人乗務を勝ち取り、電化による要員合理化を阻止した。