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>>302
■1分でわかる朝鮮通信使の歴史
1.江戸幕府(徳川)が日本を平定すると、朝鮮は1607年(朝鮮出兵を恐れ)朝貢使として朝鮮通信使を派遣する
2.幕府は、朝鮮通信使を「朝貢使」として、大名や民衆に見せることで、幕府の権威付けに利用した
3.幕府は、朝鮮通信使の接待を朝鮮通信使が通過する地域の大名たちに命じる
大名同士は見栄の張り合いから、幕府の想定を遥かに超えた、過剰な接待をする
江戸への旅で、過剰な接待を受け続けた朝鮮通信使の一行は、どんどん傲慢になり、本来の傍若無人な態度をとりはじめる
4.朝鮮通信使(両班)は、朝鮮の民(白丁)と同じような感覚で日本の民からもモノを奪うようになる(鶏など)
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5.1764年4月6日、対馬藩の通訳、鈴木伝蔵に通信使「崔天宗」が難癖をつけ袋叩きにするも、逆に殺される
当然朝鮮は抗議するが、通信使は特に利用価値もなくなっていたので江戸幕府にシカトされる
以後、朝鮮通信使は江戸まで行けなくなり、1811年に対馬まで行って最後になる