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>>294
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応永の外寇(おうえいのがいこう)は、日本史の時代区分では室町時代の応永26年(1419年)に起きた、
李氏朝鮮による対馬侵攻を指す[1]。
対馬の糠岳(ぬかだけ)で戦闘が行われた事から糠岳戦争とも。朝鮮では己亥東征という[1]。
対馬侵攻
李氏朝鮮では前年に世宗が即位していたが、軍事の実権は譲位した父の太宗がなお握っていた。
太宗は倭寇撃退を名目にした対馬遠征を決定した[1]。
朝鮮軍は、対馬の有力者が明などに渡航し不在である時期を狙って、
永楽17年(1419年)6月19日、李従茂率いる227隻、17,285名の軍勢が巨済島を出発し、
対馬に侵攻させた[1]。また同時に朝鮮国内の在留日本人商人らを一斉に抑留した。
対馬の人お人よし杉。